6/7に初めての記事を投稿して、およそ4ヶ月が経過しました。
記念すべき初ブログの記事は漁業に関するできごとをアップするぞと意気込んでいたのですが、初投稿はなぜか梅酒作りの記事。以前、ちらっとお話ししたとおり、2019年3月いっぱいで漁業研修が終わって、4月から漁師として独立するための漁船を取りに行ったその帰りにエンジンを爆発させてぶっ壊すという前代未聞の離れ業(?)をやってのけたせいで漁に出られなくなったこと、関係者各位にすさまじいほどのご迷惑をかけてしまったこと、そして自身もかなりの精神的ダメージを負ってしまったこと、今までの人生でいろんな失敗をしてきましたが、ここまで凹んだ事件はありませんでした。
現在の状況
漁業者を育成するための補助金を使って2年間の漁業研修をさせてもらい、かつ船の購入にも補助金をあててもらっているのに、こんな失敗を起こしてしまい、事故当初は本当に○にたいと思いました。元来ポジティブシンキングな僕でも、さすがにこのときは何度も心が折れましたが、島に住む人たちから、たくさんのアドバイス、励まし、そしてもちろん耳が痛くなるほどのお説教もいただきながら、ようやく落ち着いてきたところです。失敗した僕がいうのもなんですが、日薬といいますか、心の傷は日が経つにつれてすこしずつ癒えていきます。悪く言えば日が経つにつれ鈍感になってきたとも言えますけれど……。
9月下旬からようやく漁に出始めているのですが、まだ宇久島の海を知らないので、海底の瀬を調べながら操船になれていこうという状況です。また10月は時化ばかりでほとんど漁に出られず、アルバイトをしながら食いつないでいます。島の人からは「あいつは漁にも出ないでバイトばかり、何してるんだ」という厳しい声もときどき聞こえてきて、なかなか辛いところです……。
今日は約二週間ぶりに漁に出ることができたので、以前紹介した空中テンテンという漁法で漁に出たのですが、2回もスジが切れてしまい、1匹も釣れませんでした。しかもそのうち1回は、スジの最後に繋いでいるタンポ(重りのついた浮き)だけが切れてしまい、それに気づかずに延々と走ってしまうという始末。タンポがなければ絶対に釣れません。そしてまたその切れたタンポを探すのにも時間がかかり、散々な1日でした。
ちなみに今日は世界遺産にもなっている野崎島の北東から南東にかけて漁にでたのですが、タンポが切れたのはおそらく野崎島の南です。タンポは野崎島の南西あたり、小値賀島の近くで見つかりました。我ながらよく見つけたもんだと思います。
今後のブログの方向性
このブログでは、宇久島に縁もゆかりもなかった、主にコンピュータ関係の仕事をしていたホワイトカラー至上主義だった男が、インターンで離島に移住してきたあげく、まったく未経験の漁師という第一次産業を軸に生活していく、ということを記事にしていくつもりです。ときどき(?)漁業とは関係のない記事を書くこともあるかと思いますが、少しでも興味を持っていただけたなら、生暖かく見守ってくれるとありがたいです。
まとめ
今、宇久島に移住して約3年になります。島の人たちから「お前には漁師なんか無理だ」、「センスがない」、「コンピュータの仕事のほうがよかっただろう」、「漁師では生活できない」、「さっさと帰れ」などどいう意見を今もなお、たくさんいただいています。負けず嫌いなのかもしれませんが、僕はそういう意見を聞くと「やってもないのにそんなこと言うな」みたいな反発心が起こります。もちろん面と向かってそんなことを言いませんが、それがとてもストレスでした。特に、漁業研修をしていた親方からも毎日のようにそういうことを言われていたので、とにかく早く独立したい、一人でやりたいという気持ちが強くなり、船の購入についても親方の意見をほとんど聞くことなく、結果とんでもない船をつかまされ(?)、いきなりエンジンをぶっ壊してしまいました。先にも書いたとおり、当初は反省しかない日々を送っていましたが、今となってはこれでよかったのではないかとも思っています。というのも、そのときの僕は漁師なんて余裕だと思っていたので、あのまま突っ走っていたらあっさり海で命を落としていた気がするからです。今は、あのエンジン爆発事件のおかげ(?)で、エンジンをかけるたびに緊張しているし、漁に出ている間も常に「エンジン止まったらどうしよう」などという不安を感じています。
まだ、ほとんど魚が釣れない日々を送っていますが、そんな状態の男が本当に漁師になれるのか、興味のある方はときどきブログをのぞきにきてください。
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